2010年04月10日

美味なること蜃気楼の如し

IMG_1753.jpg

この金紙の方
クッキーの間にヌガーのようなものが... うまうま

さて
その頃... 

マシュマロの名は
もともとのその菓子の原料である
アオイ科の植物ウスベニタチアオイの英語名が
そのまま御菓子の名前に成ったもの

そのウスベニタチアオイのフランス語名がギモーブ
それがフランスではそのまま御菓子の名前になってる

マシュマロの名をギモーブに言い替えて
ちょっとだけ味付けを変えられただけで
まったく新しい御洒落な御菓子でもあてがわれたように
錯覚するような
言葉の感性が鈍く
直ぐに商業的な操作に流されてしまうような
そうゆうようなこととかひとって
凄く嫌だ
とても
そうゆうことって
くだらない

あ 他にも
「入れ墨」と「タトゥー」とか 笑
同じだってば 本質も意義も!

すごく微妙なのだが
同じものや事を違う言葉や違う言い回しで
色々に言い替えることが出来るということが
「詩」であってこれは
なんだか豊かなことなのに

同じものや事を
違う言葉でいわれているのに
その向かう側にある本質が同じであることに気付かないでいる事は
すなわちやたらに貧弱なことだと思う

似て非なり

そういえば
「ところかわれば品かわる」っていう言い回しは
もともと
「ところ変れば名かわる」って言い回しだったとか

此の場合
「ところ変れば名かわる」は「詩」であって
「ところ変れば品かわる」は誤解を意味している
つまり何時だって
時代は衰弱して行っているんだ

そこでまた最近のなんだか苦手な言い回しを一つ思い出した
「実生活が充足している」ことを表すらしい「リア充」つまり
ネット住人のような人が
実生活を楽しんでいる人を嫉んで言う言葉なのだそうだけど
つまり
そのような嫉みの無意味さは
あらゆる意味で自我の外側にあることがリアルであるので
ネットに時間を費やしていようと
家の外に出て人間関係を構築していようと
五感という認識装置の内側に自我が内包されていること
その自我が外側である外界を認識しているのだということに
まったく気付いていないらしい莫迦らしさなのだと思う

毎日コンピュータのモニターしか眺めていない人にとって
結局はそれが外界のリアリティーなのにな.....

あ でも 結局これは
(リアリティーという言葉をどのように受けとるかという)
言葉の定義の問題で
「リア充」という言葉を使うような人の
認識能力の貧困さを問題にしていない議論だから
「リア充」の本質的問題の批判にはあたらない 笑


言葉の定義にこだわるこのこだわりっぷりは
やはり強迫神経症のような
そんなような

いやそれ以前に
あいかわらず訳分からん独り言だなあ

さて
結論
語義を拡大して行くのが「詩」
つまり曖昧さが想像力の飛躍を生み出すわけだが

たとえば
丸くって昔からあるのがマシュマロ
カシス味でちょっと細長かったらマシュマロとは言わずにギモーブ
なんて言葉を使い分けて
本質的には同じものを指しているのに
言葉の用法を細分化して
その言葉の語義をせばめるのが
「??」 

さてこの??? の部分にどのような言葉を当てれば良いのだろうか?

荒俣宏は
『「商人」が「俗物」の代表』というかなり乱暴な言い方を
どこかでしていたが...


posted by nuduca at 09:35| 夢の中の幽かな音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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